誘拐犯の身元はまだ不明で、近づいてくるすべての人間が、彼を狙っている可能性があった。
Wはさっそく屈強なボディガードをふたり雇い、2日間、ずっと自分に付き添わせた。
金曜日の朝、雨がやんだ。
トラックは楕円形の水溜まりになっていた。
競馬場ではアスファルトを焼く機械を引っぱり出し、少しずつコースを乾かした。
枠順がくじ引きされた。
シービスケットはまたも不運に見舞われた。
全19頭中13番ゲートという、かなりの外枠が当たってしまったのその時点では、ステージの45.4キロもじゅうぶん納得のいく斤量だった。
まだ2歳で、勝利はおろか、とくに目立った走りを見せたこともなく、1938年の初めには、売却競馬に出されそうになっていたほどだからだ。
この馬の当初のオッズは150倍だった。
しかし12月には3歳になり、賞金5万ドルのAダービーをふくむ4つのレースで華々しく勝利をあげた結果、サンタ戦の斤量割り当ては、はなはだしく不公平なものになってしまった。
負担斤量があまりにも軽かったせいで、ステージハンドの調教師、Aははるばるマイアミから、Nというケシ粒のように小柄な騎手を呼び寄せた。
トップクラスの騎手で、この斤量をクリアできるのは、彼しかいなかった。
13.6キロもの差を克服するのは、決してたやすいことではない。
Wにもそれはわかってに、詞ある。
レース前夜、ボディガードを連れたWは、PのベッドサイドでSと顔を合わせた。
3人は翌日のレース、シービスケットの生涯でもっとも手強いレースについて、遅くまで長々と話しこんだ。
ウォーアドミラルを除くすべてのトップ馬が、勢ぞろいしていた。
シービスケットに割り当てられた59キロという負担斤量は群を抜いて高く、ほかの馬はというと、たとえばその年のケンタッキーダービーで早々と本命になったステージハンドは、最低ラインぎりぎりの45.4キロにすぎなかった。
この馬がかくも軽い割り当てでエントリーできたのは、このレースが特殊な斤量システムを取っていたおかげだった。
レースのプランを練る調教師たちの便宜をはかるために、A競馬場では、レースの2か月も前にあたる12月15日にハンデを発表するのだ。
騎手はWで決まりだった。
ハンデ戦の朝、H夫妻は車でセントルーク病院に向かった。
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